Artykuł: 喜右衛門に於&#
Data dodania: 2013-12-13
喜右衛門に於ては必定信長を撃捕るか討死仕るか二つの道を出で候ふまじと思定め候、早早御出陣然るべしと申すにより、久政も此程遠藤が申すことを一度も用ひずして宜敷事無りしかば、此度許りは喜右衛門尉が申す旨に同心ありて、然らば朝倉殿には織田と遠州勢と二手の内何方へ向はせ給ふべきかと申せしにより、孫三郎何れへなり共罷向ひ申すべくとありしかば、長政いや/某が当の敵は信長なり、依て某信長に向ひ候ふべし。朝倉殿には遠州勢を防ぎ給はり候ふべしと定めて陣替の仕度をぞ急がれける。遠藤喜右衛門尉は、兼て軍のあらん時敵陣へ紛れ入り、信長を窺ひ撃たんと思ひしかば、朋輩の勇士に談らひ合せけるは、面々明日の軍に打込の軍せんと思ふべからず、偏に敵陣へ忍び入らんことを心掛くべし。然しながら敵陣へ忍び入り、冥加有て信長を刺し有るとも敵陣を遁れ帰らんことは難かるべし。然らば今宵限りの参会なり、又此世の名残りなりと酒宴してけるを、諸士は偏へに老武者が壮士を励ます為の繰言とのみ思ひて、何も遠藤殿の仰せらるる迄もなし、我々も明日の軍に討死して、栄名を後世に伝ふべきにて候ふと答へしかば、喜右衛門尉も悦び、左様にてこそ誠の忠臣の道なれ、はや暁も程近し、面々用意にかゝらせ給へとて、思ひ/に別れけり。
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